おまけ
せっかくの久々の逢瀬ではあったれど、あまり長居は出来ませぬと。黎明もすっかり明けての清々しい朝を迎えたと同時、○○の郷からの早亀がもたらした知らせをざっと読んで、綾磨呂公が買い上げた品々は問題無しとの確認へ胸を撫で下ろした七郎次は。村の方々から供された、心づくしの朝のお膳を頂いてから、申し訳なさげに眉を下げて見せた。
「急な依頼に急かされて、追い立てられるように出て来ましたので、アタシが居ない間の手配や何や、指示を残して来れませなんだ。」
まま、何かあったらあったで電信も通じておりますし、何より、店のことにはアタシ以上に頼もしい雪乃が居りますから、そんなに案じることもないっちゃないのでしょうけれどと。こちらを慌てさせないような言い方を付け足した彼ではあったれど、
「さようか。それでは早よう戻ってやらねばなるまいな。」
何の準備もないままの突発的な行動というものは、機転が利いて何が降りかかっても動じないほど心構えにも余裕のあるような“ご当人”には、覚悟あってのことでもあろうから問題はないが。そんな目に遭った大切なお人を見守るしかない立場に締め出され、振り回される周囲がどれほど冷や冷やすることか。それをよくよく知っている七郎次なだけに、何も言わずに置いて来たも同然の家人らを早く安心させてやりたいのだろうと。これまた、元上司であるがゆえ、今にして思えばというよな疚しい覚えがあり過ぎてのそれで。彼の胸中、今頃 把握も出来るようになったらしき勘兵衛が、引き留めもしないで送り出すような言いようをすれば、
「………。」
こちらさんは…実はそこまで物分かりが良い訳ではないのだけれど、
「何でしたら、久蔵殿も一緒にこのまま蛍屋までお越しになりますか?」
勘兵衛様は“次の依頼を片付けたなら”とお言いですがと、優しくお水を向けてくれるおっ母様へ、
「…。(否)」
ふりふりとかぶりを振った久蔵が、そのまま最後の名残りにと。腕を伸ばして良い匂いのする懐ろへすがりついてのお顔を埋め、こしこし頬擦りをさせてもらってから身を離す。すぐにまた逢えるのだから大丈夫だよと、小さく微笑った次男坊に、
“何とまあ お強くなって。”
そりゃあ甘えん坊さんだったのにねぇと、何かが胸に迫って来ての ほろりと感動したらしい七郎次さんだったらしいが。………神無村時代から既に、鬼のように十分お強い彼だったじゃあないですか。よかったら誰か突っ込んでやってくれないか、この天然さんたちの集まりへ。(うう…)
【 それでは儂も途中までご一緒しよう。】
こちらさんは、故買屋だった豪商の検挙をなした町まで戻るという弦造殿が、久蔵の大事なおっ母様に何かあっては一大事であろうがなどと冗談めかしての同行を申し出て。ではと立ち去る後ろ姿が、
“…言われてみれば、成程そっくりだの。”
動作の基本まで浚ったものか、足の運びまでもが似ている二人を見送って、さて。
「ところで、久蔵。」
「?」
「弦造殿へとああまで薦める髪油、儂には一向に押しつけぬはどうしてかの?」
七郎次の登場という意外にもほどがある展開へ、彼もまた少なからず驚いたことだろに、その前のごちゃごちゃを覚えていての持ち出すところは、さすが只者ではない島田殿。
「…。」
人には好みというものがあるというのなら、それこそ弦造殿にも言えること。いくら七郎次に似ている御仁だからとはいえ、やれ髪が傷むの、やれ身だしなみは大人のたしなみの基本だのと、聞いた風なことまで持ち出す熱心さなのへ、ちょっと呆れた…以上の何かしら、感じた勘兵衛様だったらしい。まま確かに、髪の傷みや身だしなみという点を言えば、こちらの壮年様だとて、結構な荒れようの蓬髪を一切構わないまんまにしている困ったお方。哲学者のように奥深くも神秘的な知慧をたずさえたお人の、様々な物の道理を知り尽くした人性の深さを醸している外観には相応しいとの解釈も出来なくはないけれど、
「たまに言い争いになったりすると、その端々で“鬱陶しいから切れ”とまで言うておるのに。」
…口喧嘩なんかするんだ、この人たちでも。(苦笑) せいぜい些細なきっかけから繰り広げるそれだろう口喧嘩のその最中、罵声としてでも“鬱陶しいから切れ”と口にする久蔵なのだから、時には“見苦しい”くらいのこと、思わないでもないことは明白だろうよと持ち出した勘兵衛であり。だったら尚のこと、髪油でも染ませての手入れくらいせよと言わないのはどうしてか。
「………。」
まさかにそんなことを、この勘兵衛から訊かれるとは思わなんだか。これは誰にでも判りやすい表情だろう、紅の眸を大きく見張り、どこかキョトンとしている久蔵であり。ということは、切れなどという罵言も、さては弾みで言ってみただけだなと思われて。
「………すまぬ。」
やっとのことで呟いたは、どういうわけだか謝辞の一言。覚束無い様子になっての視線を下げて、ややもすると俯いてしまった彼であり。
「? 久蔵?」
おや、これは思わぬ反応だと。勘兵衛のほうでも少々狼狽(うろた)えかかる。てっきり威勢のいい言いようが切れよく返ってくると踏んでいたのに、この消沈ぶりはどうしたことか。先に出発した二人を見送った、緑濃いスズカケの梢の下。ゆらゆらちらちら風に躍る木洩れ陽の中で、どこかとりとめのないお顔になった若い連れ合いの、すぐ傍らまで寄ってやり、心ない言いようをしたかのと手を伸ばして髪へと触れれば、
「…。(否)」
勘兵衛のその手の甲へ自分からも手のひらを重ね、嫌がりもせずの受け入れつつも。小さくかぶりを振ったはお返事として。彼の側とて、自分の言いようにそんな意味合いが…矛盾が含まれていると、今初めて気づいたらしく。
「…から。」
「んん?」
聞こえぬぞと。低いお声でもう一度と、それこそ囁くように促せば、
「お主の、この匂いは好きだから。//////////」
ぽふりと。頭を凭れさせての擦り寄った頼もしい肩口。常の白い衣紋の高い襟が横手に見えて、羽織とその下の袷の襟の重なりを、下から押し上げている胸元の、やはり頼もしい厚さへ頬が染まる。精悍で雄々しい彼の、こうすると自分を包んでくれる頼もしい匂い。ちっとも甘くはない、むしろ対岸のそれであろう男臭くてむさ苦しいばかりな匂い。汗と埃と、今は吸っていないはずの煙草の名残りのような渋みと、それから。染みついて もはや取れないそれだろう、汗とは微妙に異なるかすかな鉄臭さは、恐らくのきっと…血の匂い。
「…。」
この男のこれまでを、全て含んで体言しているかのようなこの匂いを、髪油の甘い匂いで消されては嫌だと。思うより先、あり得ないことだとしての、それで。それと相殺されるものを使えだなんて、思わなかっただけのこと。それも…今 指摘されて初めて気づいたくらいに、無意識下にてのことだったらしく。そんな自分への含羞みに、どぎまぎしたらしい可愛げへ。おやおやとの苦笑も新たに、目許を和ませる壮年殿であり
――― そうか。ならば、儂はこのままでよいのだな。
………。
んん? 聞こえぬぞ?
たまには…揃えたほうが、いいとは思う。////////
寝苦しい頃合いはさすがに、かぶさってくると擽ったいのを通り越しての、切り揃えてやろうかと本気で思いもするからと。これまた、嘘のつけない彼ならではの本音を洩らすところが、勘兵衛からの苦笑を誘い、
「…っ。////////」
「ああ、すまぬ。馬鹿にした訳ではないから許せ。」
知らぬとそっぽを向いての若いのが先、それを追う壮年と、ばらばらに歩み出すは次の依頼のあった村への道。昇る陽に向かっての歩みは、二人の陰を長々と引き伸ばし。やがては高さも同じの一つにからげ、仲睦まじくも並んで歩む姿を照らし出すのであろうこと請け合いで。どうか通りすがりの旅の方を戸惑わせないようにね、お二人さんvv
〜Fine〜 07.8.05.〜8.07.
*種明かしの段は、
いろいろ詰め込み過ぎての、何だかなあという代物になっちゃいましたね。
いえね、シチさんと弦造さんが顔を合わせたら、
面白いことになるんじゃないかというお声がありまして。
でも、このお二人、案外と接点がないんですよ。
それこそ、弦造さんが用があっての蛍屋に行かないと無理なくらい。
とはいえ、こっちの方がよっぽど取ってつけた様な運びでしたね。(とほほ)
反省しておりますです、はい。(苦笑)
めるふぉvv **

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